思うように生きる  coolpine19のブログ

夏は山遊び・山登り、きのこがりと八ヶ岳通い、冬は関東の街暮らし 季節の変化、いろいろな出来事も、つらつら書いています

『チェンジ』2024年を振り返る 後半

前回に続き、2024年後半の『チェンジ』したこと3~5についてまとめる。

3.11年間の八ヶ岳ログハウスを売却する

2013年の夏に勢いで購入したようなセカンドハウスだったが、当初はあちこち思ったよりひどく傷んでいた。毎年毎年、大きな修繕を大工さんにお願いするための八ヶ岳ライフだったかもしれない。

今から2年前の頃より、ログハウスの修繕リフォームと趣味の山登りとが、自分なりに修了できたなぁーと思うようになった。それは嬉しくもあり、少し虚しい気持ちでもあり、八ヶ岳ライフの目標が見えなくなったような気もしていた。

11年で手放すのは早いと言う人も多かったけれど、家も嫁と同じで、綺麗で旬なときに手放す方が良いと思い、不動産屋さんに相談し、売却することになったのが今年の夏だった。

リフォームは、街の家と寒冷地のログハウスとは大きく違っていた。

費用が大きい順で、全屋根の吹き替え~ウッドデッキ1・2階再建~屋根や壁面ログの全塗装~寒冷地用水道管全部作り直し~ウッドアプローチ再建~駐車場造成~薪ストーブ新品交換~全床下断熱工事~トイレ・タンク・ウォシュレット全交換ーカラマツの樹木の伐採はクレーン車で行うなど・・、限りなくやって、近所の方々から見違えるように良くなったねと言われるのが嬉しかった😊。

 

新しく住人になる方が家具・家電の大部分をそのまま残置ご希望だったので、引っ越し荷物は大幅に少なくなり、赤帽車軽トラ1台で充分だった。街の家に持ち帰りの荷物が少ないのはすごく良くて、家も家具も大事に使って下さる方にご縁があったのは幸せでした。その方々と一度だけ家でランチ会をしてお話しができたのも良かったです。

『これからは新しい方にお世話になるんだよ』と、心にけじめをつけて家にさようなら!

仲良くして頂いたお礼を申し上げるためにご近所さんのご自宅を廻り、八ヶ岳の花になごりを惜しみました。

 

4.軽キャンパーになる

今年は、お正月早々に能登の大地震が起こったこともあり、災害の時、家の代わりになるような車があったら良いなぁと思って、2月に予約をした。6月に予定より早く出来上がり、はれて軽キャンパーの仲間入りをすることになった。

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Happy1+cityを選んだ理由は、cityの文字のように街づかいに便利で、テントを下げている状態なら立体駐車場にも入れる高さであること。実際使ってみて、高さ制限220cm以上の立体🅿なら大丈夫。しかし、たまに210cm制限のスーパーの駐車場があるので要注意。また、やはり目立ってしまうので、今までのように気楽に足代わりに買い物へと使いにくい。だから近場は歩いたり、自転車を使ったりが多くなり、かえって健康に良いかもしれません。

cityは、街より木々の中の方が似合う。ちょっとの時間でも広い緑地公園などに出かけ、ちょこっと八ヶ岳気分になり、軽キャンの中でお茶を入れてくつろぐことも楽しみです・・。

 

5.我が家のライフスタイルの変化

インコちゃんは来年3月には3才になる。すっかり家に慣れて、野生のシジュウガラやメジロが庭にやって来ても、同じ仲間じゃないように無視している。

車は、私は軽キャンを主に使っている。息子は通勤用に毎日、乗用車を使うようになった。今まで満員電車で1時間半のきつい通勤だったので通勤自体は楽になったようだ。自由に使える時間が増えると、やりたいこともまた増えるのかもしれない。本人任せで何を考えているのか、心の中は親でも分からないが、来年も本人なりに頑張っていくでしょう・・かな?

『チェンジ』2024年を振り返る 前半

今年の私の1年を一言で表すと『チェンジ』の年だった。

何が変化したのか?

やりたい事をやって思うように生きていることは変わらない。

父母共に60代で亡くしたので、自分も世間様の平均寿命まで生きることはないだろうと考え、定年前の現役時代に八ヶ岳にセカンドハウスをもった。そこを拠点に土日休日を中心に趣味の山歩きをした。とても忙しかった。定年後は、仕事の再雇用などは一切やらず、八ヶ岳ライフと登山や八ヶ岳のレストランバイト等でどっぷり2拠点生活を楽しんだ。八ヶ岳の家から見える山は全て登り、北アルプス南アルプスの山々も日帰りで登り、冬山にもチャレンジもしたし、熊の多くいる山稜を一人でずんずん歩いたりもした。大きなけがや熊にも襲われなかったのはラッキーなことだった。ただ、そんな生活が当たり前になってくると、山に行ってもあまり新鮮味がなく、美しい山や花にもドキドキしなくなっていた。

今年の『チェンジ』は、5つあった。

1.エベレスト街道トレッキングが登山の集大成みたいなものだったかも・・。

去年と今年とでネパール滞在は延べ30日になった。2回のネパール行きで、乗った飛行機は、乗り継ぎやヒマラヤ遊覧飛行、ルクラやポカラなど全部で6+8=14回搭乗した。ネパールの飛行機は無事着陸すると乗客は拍手をする。登山より危険な乗り物で、無事元気に戻って来れたのが何より幸せなこと。

2024年のお花見はエベレスト街道のさくらとアンナプルナ山域のシャクナゲ(ラリグラス)

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チトワンでは野生のサイから追いかけられ必死で走って逃げた

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山歩きの過酷さで比べると日本の北アルプス登山の方が断然きつい。熊もいない。

辛いのは高度が上がると寒いのと高山病、あとはシャワーやトイレなど日本の快適さに慣れてネパールの辛い生活が1週間も続くとキツイ。おいしい空気と水道の水が飲める日本っていい国なんだなぁ・・と、ネパールで生活するのは覚悟が要った。

 

また、エベレスト街道やアンナプルナ山域のプーンヒルでは氷点下近く寒いのに、チトワン自然保護区はジャングルで気温は40度。その気温差にチトワン1日目は熱中症のように頭がくらくらした。インドとの国境にあるチトワンは熱帯でインドからの観光客が多かった。チトワンでは、ジャングルサファリのリゾートホテルなので山と違って快適リゾートで気分転換になった。

街に戻り、カトマンズ滞在中はフジホテルで、近くの日本食レストランへ通ったり、町をぶらぶら歩きしたり、ちょっと怪しい人もいてそれも面白かった。

2.アンチエイジング美容外科

自分に投資でアンチエイジング・・

効果があったかどうか?

最近、初対面の人に、「若い!」って言われることも度々あるので、たぶん10歳は若返りしたかもしれません。

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九州の旅№5 博多

九州旅行のラストは福岡県博多区、博多は九州で多分いちばん大きな都市だ

博多駅はクリスマスのライトアップが始まった

町並みはおしゃれな建物やお店が目を惹く

色々なところを短時間で巡るオープントップバスに乗った

ネット予約ページでは満席だったので、予約は出来ていなかったけれど、福岡市役所の1階乗車カウンターに直接行くと、まだ席は余裕で乗れるとのこと。ラッキー・(^^♪

みなさ~ん手を挙げてくださ~い、とバスアナの合図で一斉に🙌 ↓

シーサイドももちコースが定番観光コース

福岡paypayドームとヒルトン福岡シーホークと福岡タワーのスリーショット

福岡城跡 美しい石垣が残っている

福岡タワーと緑のアーチけやき通り

バスを降りたあとは、賑やかな天神通りを歩く

大丸前の飾りとクリスマスマーケット

天神交差点

博多駅近くの街の真ん中に素敵なお寺、東長寺 (高さ26m 総木造りの五重塔)と 

水鏡天満宮(右)

都会のど真ん中でも普通に寺院や神社があって、しかもきれいな姿で大事に保存されているのが日本の良いところ

博多は外国人が多く、国が近いからか、中国語や韓国語を話す旅行者がとても多いように感じた。

旅行の最後の日は、親戚のすご~く若いお子様たちに会う。甥っ子の可愛いお子さんに会って若返り出来ました😊。。

福岡空港17:40発~羽田19:20着、九州の旅は終わりました。

知覧や桜島吉野ヶ里遺跡、大都会博多・・・、もともとは九州出身の自分なのに、知らないところはまだまだあるんだな~と思ったり、懐かしの旧友との再会もあり、途中5人旅の新しい出会いで盛り上がったり、可愛い親戚のお子様と自分が天然パーマで繋がっていたり、新たな発見や出会いもいっぱいあった九州の旅でした‥😊。

九州の旅№4 吉野ヶ里遺跡

am8:00~、鹿児島中央駅前から佐賀県神崎郡の吉野ヶ里遺跡まではレンタカーで一人旅、高速道路は加治木IC~みやま柳川IC、高速を下り、道の駅みやまで休憩する。筑後平野佐賀平野の広~い平原でずっと続く水田地帯は町の見渡しが良い地域。途中が宮崎や熊本の山あいを通ってきたので地形の違いが分かる。湾岸道路の先は有明海。1時間ほど車を走らせ、筑後川を渡り、築後平野の先のちょっと小高い丘にある吉野ヶ里遺跡公園に到着したのがpm1:00くらい。ちょっと遠かったけど無事到着して見学を始める。

物見やぐらの上から遠くを見ると、ずっと開けた広~い平野だと言うことが分かる。
魏志倭人伝邪馬台国には小さな村が100余国もあるって書いていたけど、この築後平野ならあったかもと、ふと思ったりした。

パンフレットを見ながらあちこち見学する。

銅剣や銅鐸、鉄製品、青いガラス製の装身具、絹製品の副葬品などが発掘された。

一部は大陸由来の物も多くあり、中国大陸との交流があったのでしょう。

赤いそばの花が満開。弥生時代の人も見た光景かな。

1986年~工業団地計画による発掘調査で大規模な弥生時代の環濠集落の存在が分かった。以後、発掘・研究は続き、吉野ヶ里遺跡公園として公開。しかし今もまだ未開園エリアがある。↓

物見やぐらと甕棺 

物見やぐらは遠くからの敵の攻撃を見つけるのに良かったでしょう。
甕棺は、未開園エリアの甕棺墓列には約500基もあり、大きく、1.5m位の長さがあった。また、腕輪や装身具を身に着けた人骨もあり、王や有力者など高い身分の人もいた。

人は竪穴式式住居に住み、食べ物は、コメや蕎麦などの玄米を蒸したもの、イノシシなどの肉、魚、貝類、野菜、木の実などを食べていたので、現代人とあまり変わらず、かえってヘルシーな自然食。

倉庫跡は100棟発見された。

穀類などを貯蔵するためにはネズミ返しのある高床式倉庫で、用途に応じていろいろな倉庫が建てられ、村人は協力して管理していた。村内では社会のルールがきちんとできていたからでしょう。しかし、水田での稲作が始まると、水や土地などをめぐって、村と村同士の争いも多かった時代で、出土人骨には槍が刺さったままや首のない骨も見つかっています。

村を守るため、外環濠には城柵が作られ、乱杭で敵の侵入を防ぐ工夫もしていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

1986年の吉野ヶ里(発掘前の吉野ケ里)と今のライトアップ吉野ヶ里遺跡公園

弥生時代と発掘前と今と、吉野ケ里遺跡も変わっていく。

しかし食べ物も暮らしも争いも、電気とインターネットがないだけで人はあまり変わらないように感じる。

邪馬台国の場所が、畿内説か、九州説か、出雲説か、ほんとうは分からない。なぜなら、吉野ヶ里のような王のいる大きな村は、弥生時代には西日本全体にすでにいくつも出来ていたでしょうから・・・。魏志倭人伝から考え、より大陸に近いと言う点で弥生時代は九州地方のどこかに邪馬台国があったと思うのが自然だ。

しかし、時代は流れ、九州は衰退し、古墳時代には奈良・近畿地方に遷都したのかなと思う。そして平安時代で京の都、鎌倉の時代、江戸の時代と、都は移っていった。

今は、日本全国、どこに行っても同じように快適に暮らせ、町でも村でも不便なく暮らせ、身分の差別も無く、まぁまぁ皆幸せに暮らせる日本は素晴らしい。

その原点が、縄文や弥生時代の私たちの祖先の倭国の日本人。今も昔も繋がっている。

ご先祖さまに感謝して精いっぱい生きなきゃ・・・と思った吉野ヶ里遺跡でした😊。

 

九州の旅№3 桜島一周ドライブ

この日も暑かった。鹿児島は関東地方よりかなり暖かい。

まず桜島フェリー桜島まで行く。

桜島一周が約36km、車で停まらなければ1時間で一周できる。

ぐるりと一周するために、レンタカーを2時間コースで出発した。

湯之平展望所から見えるのは北岳と南岳、噴火口はここからは見えない。

紅葉も少し進んでいた。けれど桜島の樹林は広葉樹が少なく、杉などの針葉樹が多いのは溶岩と火山灰の島だからかな~。

海岸道路を進んで桜島の反対側まで行くと、噴火口や噴煙が見える黒神ビュースポット

火山灰が砂山のように流れ落ちるのが縦線の襞のようになっていて、人が登れるような山じゃないことが分かる。

この近くにある黒神埋没鳥居は、大正噴火で、1日のうちに2mも埋没した鳥居

桜島はこの時の大正溶岩で陸続きになった。今では、フェリーでなくても車で行ける。

有村溶岩展望所では桜島が溶岩の島だとよく分かる。

一周して、長渕 剛オールナイトコンサートのモニュメントと桜島溶岩なぎさ公園足湯

帰りもフェリーに乗りました。フェリー代は往復で500円。

その後は、市電で天文館通りへ。モンベルで鹿児島店限定の桜島Tシャツを購入する。でもサイズ切れだっので、後日自宅まで配送していただけるそうで楽しみです。

その後は、天文館で5人旅の懇親会

鹿児島の芋焼酎やきびなご等々で盛り上がり、3次会までになりました。

まだ旅は続きます・・・・😊。

九州の旅№2 知覧 薩摩半島 

・・・2日目・・・

この日は、SNSの仲間5人とレンタカーで鹿児島中央駅前から薩摩半島へ行く。

早田ひなさんがオリンピック後に行きたいと話していた知覧特攻平和会館に到着。

開聞岳が近く、下の絵のように開聞岳に向かって飛び立って行ったのでしょう。

知覧の桜並木や公園の桜は特攻隊員の鎮魂のために沢山植えられています。↓

地元の小学生や幅広い年代の県内外からの多くの来館者、外国人も多かったです。

内部は、撮影できる処が限られ、ほとんどが撮影禁止です。

特攻隊員の魂が天女から天に召されている絵画と、海から引き揚げられた特攻機。↓

撮影禁止の部屋には、特攻隊員の顔写真や遺書や出撃まで生活した様子が分かる道具や服などがガラスケース内に丁寧に展示されている。遺書など読むと、やはり涙なくしてはいられない。たぶん、全部読むと1日でも足りない。

今の幸せで豊かな日本があるのは彼らの犠牲の上にあると心から感じる。敗戦濃厚となっても郷里の家族や国を守るために出撃して行った隊員は最年少17歳~、すごく若年だったが今の私たちよりも遥かに精神的に成熟していたとその遺書を見て思う。

内部は撮影禁止でしたがネットでありました。皆、戦前の若者は達筆でした。↓

石垣 仁陸軍中尉の遺書 

(昭和20年3月22日 台北の沖で敵機と交戦し戦死、享年24歳)

覚悟で御座居ます 天皇に仕えまつれと我を生みし 我が垂乳根ぞ 尊かりける
二十有余ヶ年育み下されまして有難う御座居ました 喜んで任務に生き任務に死します

たぐいなき幸 吾選まれて 今南海の雲と散り征く

身はたとへ南海の果てに砕くとも み魂は永久に み国護らむ

身は死しても 魂は七生の念に燃ゆ 後に残る弟妹 又私の身代わりとなりて

皇国を護持せられん事を 

最後に皆様の御健康を御祈り致します             敬具

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私たちが生きる今は、彼らが生きたかった未来、彼らの分まで日本の国を守り続け、世界に誇れる日本にしたいですね。😊

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薩摩半島の旅の次は、鹿児島芋焼酎の明治蔵

さつま白波醸造所、薩摩酒造花渡川蒸溜所

鹿児島産のさつまいもコガネセンガンを蒸して造る様子が見学できます。(要予約)

次に、日本最南端の駅 西大山駅とハイビスカス🌺

その後、長崎鼻へ(浦島太郎伝説で竜宮岬とも言われる)

パワースポット 開聞岳924mがよく見える、岬の灯台薩摩半島の最南端

最後にレンタカーで鹿児島中央駅前まで帰る。

この日は盛りだくさんな旅になったけど、知覧特攻平和会館は、もっとゆっくり見学したかった。鹿児島の人は何回も訪れる場所らしいです。いいですね!

九州の旅 鹿児島へ №.1

先週は約1週間、九州をあちこと巡り、旅した。

一人旅が3日間、中2日間は5人旅だった。

羽田からの飛行機からは、黒っぽい富士山や五合目の宝永噴火口まで良く見えた。

・・・1日目・・・・・

鹿児島空港からは、リムジンバスで鹿児島中央駅まで行く。

路面電車が可愛く昭和っぽい。でんでんって言うのかな?

駅前の銅像は若き薩摩の群像(鎖国時代の英国への留学生17名)五代友厚森有礼他・・。

駅近くのホテルに荷物を預けて身軽になり、市電に乗り、朝日通で下車して西郷隆盛銅像まで歩く。鹿児島の西郷さんは上野の西郷さんと全然違って陸軍大尉の制服で凛々しい。『天を相手に人生を全うした誠心の英雄』と親しまれる鹿児島の偉人。街のあちこちに西郷さんゆかりの史跡や写真スポットがある。

近くの探勝園は島津の歴代の殿様の銅像(写真は島津久光公)、その隣の照国神社で参詣する。

照国神社から城山まで、やや急な近道があったので、30分くらい歩いて登り、この景色になる。↓

城山観光スポットはにぎわっていた。観光バスのコースになっている。私も鹿児島の旅の記念写真で此処がいちばん撮りたくて、山を登ってきたのだった。

暑かったので11月中旬なのに半袖です・・☀😊。

この城山の展望所から歩いて10分くらい歩いて下ると、西郷隆盛洞窟があった。

・・西南戦争 最後の司令部・・

1877年(明治10年)9月24日、午前4時政府軍(数は4万)の城山総攻撃が始まった。薩軍兵士は、わずか300余り、死を決した西郷は、夜明けを待って、5日間過ごしたこの洞窟を出る。ゆっくりと岩崎谷を下る途中、流れ弾が西郷の腰に命中、仲間の介錯をあおいで49歳の生涯を閉じました。『おはんらにやったいのち』最後まで西郷さんは勇敢で潔く、薩摩隼人です。

西郷洞窟前から、シティビューバスに乗り景色を見ながら行く。

桜島がだんだん大きく見えるようになる。

バスの運転手さんがいろいろ歴史名所の説明をしてくれて、鹿児島湾近くの仙巌園につく。

仙巌園(せんがんえん)は、薩摩藩主島津氏の別邸・大名庭園 。別名は磯庭園(いそていえん) 。

万治年間に島津氏第19代当主・島津光久によって磯に別邸として建設された 。錦江湾を隔てて桜島を借景とする庭園となっており 、「仙巌園附花倉御仮屋庭園」として国の名勝に指定されている 。

桜島が目の前で、広く美しい庭園、製鉄の反射炉もあり、関東からも高校生が修学旅行で此処を訪れていました。島津氏の力の大きさが分かり、色々なところで島津藩の威光を感じる鹿児島市内でした。


hachiman0088.com

1日目の夜は、鹿児島の旧友と鹿児島黒豚しゃぶしゃぶの店へ行く。

もちろん芋焼酎も飲み、楽しかったです。

 

若者が大活躍な時代祭りでボランティア

芸術の秋真っ盛りで、わが町でも色々な文化的なイベントが催されている

連休最終日は時代祭りのパレード補助のボランティアで参加した。パレードのスタートは、浄運寺というお寺で、時代行列に似合った処

 

ボランティアは、イベントに協力しながら半分はお客さんの立場にもなれることで両方の楽しみがある

だから、あんまり気張らずにやること。イベント運営で前に出て頑張っている若い人達を応援するような気持ちで参加すると、より楽しい。

時代行列のコスプレイヤーは大人気でパレード後には、あちこちで撮影会となっていた。衣装も自前で、足の先から兜まで凝っていて、旗の染めも美しい藍染、足袋や履物も一人一人つくりが違い工夫されていた。彼らはいろいろな時代祭りイベント会場に進んで参加し、時代物好きなお客さんを喜ばせてくれ、日本文化を愛し守ってくれている。

そんな日本人っていいなぁ、日本の若者たちって素敵だなぁ~と思う。

武者や流鏑馬は男性も女性もカッコいい。

昔は私も弓道部だったので流鏑馬を近くで見たかったけど、ものすごく多くの観衆で、カメラを上にあげてやっと撮影したのがこれ↓  

外国人の刀のパフォーマーがいたり、観客にも外国人が多くいたり、日本文化は武術も衣装も、外国人から見ても珍しく、面白く、興味深いのでしょう。だからこそ、こういうお祭りを続けることは日本にとって大事なことなのでしょう。

この日、大学生?と声をかけたら、なんと中学1年生のボランティアさんに出会った。一人で時代祭りのチラシ配りを頑張っていた。中学1年生の時の自分と比べ、恥ずかしくなるくらい立派な中学生。

こういう若者が活躍する時代祭り、素敵です。

そして、ニッポンってやっぱりいいね!

神谷宗幣氏の演説を聞きに横浜駅に行く

恥ずかしながら生まれて初めて、自分から選挙の演説会場に行きました。

今までは駅前などで候補者の声も他人事で、遠り過ぎるだけだったことを反省します。

現政権が選挙に勝つためには、国民が選挙に行かないこと、投票率が低い程、より都合が良いのだそうだ。政治に無関心な国民や若者ほど政治家には都合が良いのだ。

選挙に行こう。

www.youtube.com

 

たぶん神谷宗幣氏ほどの政治家は、私が生きている間には現れないだろうと思う。

なにか他の人とは違う、、、の答えが今日分かった。

神谷氏の演説は、全て正論ばかりだ。何ものにも媚びない。怖いもの知らずにものを言う政治家は神谷氏以外にいないからだ。候補者の平本こうじろう氏は、そんな神谷氏の身を案じ、守るために立候補者になったそうだ。

たぶん、此処に応援に来ている聴衆も、同じように感じ、多くの人が集まったのではないだろうか。そう感じるほど、凄まじい演説妨害があった。

演説妨害が多いのは、神谷氏をそれほどヤバいと怖れ、びびっている政治家が多いことの証明だ。妨害一味はお金で雇われたアルバイト兼、アンチ参政党、また、左巻きの昔の革命家モドキのように見えた。

彼が本物の政治家の証拠だ。

 

神谷さんマスメディアに怒る!衆院選 &2024自民党総裁選に思う

選挙演説もネットで見ることができる時代になり、お茶の間にいながら今まで知らなかったことやテレビでは隠されてきたことも分かるようになった。

10月17日、本音の演説に、怒りに心が揺さぶられた。


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どうなっているんだこの国は!と神谷氏は怒る

マスメディアのひどく偏った扱いや、メディアを利用して平気で国民をだまし、国民無視の政治をする政治家、それに騙されたり乗っかる人々とおカネに心まで売る政治家やアホなYouTuber。右も左もクソばっかりの政治家たち。テレビしか見ない人たちは完全に騙され、大谷さんと芸能ネタでお腹いっぱいなお花畑脳みそにされていく。

先日のNHK日曜討論で、一人だけまともなことを言っていたのが、彼だった。参政党はその名がテレビで出て来ることは非常に少ない。正直に正論を言うので都合が悪い人が多いのだろうか・・。その討論のとき、石破総理は「ぼくは企業献金が悪くて、個人献金が良いの違いが良く分からない」と言ったところ、神谷さんは「企業献金をもらうとその企業に寄り添った政治をするようになるのでいけない。」と一言で論破した。私は、石破さんは企業献金と個人献金の違いも分からないアホな人だったんだな~と、こういう人が日本の総理になっちゃったことが怖くなり、情けなく、あの総裁選を思い出し悔しく、1日も早く辞めてほしいと思っている。

愚かな石破総理の間違った誕生のまとめ

思えば今までに、こんなに政治不信になったことはないと思う。

言い換えれば、ずっと騙されていたことが、あの1時間の総裁選で目の前に現れたとも言える。だからNHKが総裁選中継をしてくれたことには感謝しています。

1回目の投票は、党員票と国会議員票の合計で高市さんの勝利、初の女性総理誕生!の、はずだった。しかし、2回目には党員無視の国会議員だけで行われる決選投票という無駄な選挙が自民党総裁選挙にはあった。そこで、岸田総理が、「高市以外に入れろ」という指令を出し、それに従った根性なしの議員がたくさんいて、46→173へ、つまり127人もの議員が寝返り、哀れな石破さんに入れたという。こんな不正選挙が白昼堂々とTV中継され、それで政治不信にならないわけがない。あまりに国民を馬鹿にしています。参政党のまねではないけど、日本をなめるな!です。

総裁選は「高市潰し」ということだったそうです。安倍元総理への嫉妬心もあり、ストレートな性格と物言いで人気がある高市さんを以前から岸田元総理は嫌っていた。だからといって、総理になってはいけない石破さんを国民への当てつけのように総理にした岸田さんは、その人間性を疑います。その悪意に利用された石破総理が可哀そうに思えてきます。

松田まなぶさんのブログで詳しく書かれています。↓

ameblo.jp

神谷さんは、生前の安倍元総理と面識があったそうだ。

松田まなぶさんは演説の時、神谷さんを「将来の総理候補」と話している。

それまで、体に気をつけて参政党を守り、若い党員を増やしてほしいと思います。16歳からの参政権もいいですね。

私は今でも安倍元総理ロスで、2年前の国葬のときから悲しみは同じですが、

神谷さんのような真っ直ぐな人が総理になれる日本になったら良いなと願っています。

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シェルパが日本よりネパールに帰国

今年、3月22日~4月10日のネパールトレッキングの旅でお世話になったシェルパは、この夏、80日連続で立山の山小屋で働き、この度、無事帰国となった。

クムジュン村↓

彼らは日本で出稼ぎ労働者として約3か月間滞在し、山小屋で働くということをネパールで聞いていた。それで、無事しっかりと働くことが出来たら、帰国する前にお祝いをしようと約束していた。

場所は相模川の河川敷、ネパールでは手に入らない日本の芋焼酎赤霧島)を美味しいとたくさん飲み、宗教上ネパールでは売っていない牛肉焼肉をして一晩キャンプをし、仕事終了と再会を祝った。

この前日には、別のお知り合いのお宅にお世話になり、くら寿司に行ったそうだ。海のないネパールでは、大体の人が海を見たことがない。生魚を食べることがないので、日本でお寿司のおいしさを知ることは格別なようだ。

クムジュン村では、弟シェルパの大切な家族が待っている。

日本で80日間働くと、ネパールでは1年間何も仕事をしなくても、家族親戚を養えるそうだ。

さらにトレッキングのガイドも、日本とドイツにもお客さんができているという。素晴らしいね。立派だ。(^^♪

ネパールでぼんやりしていては食べていけない。

カトマンズ空港では、いつだって出稼ぎの若者が出国している。

ヒマラヤなど景色は世界一美しいのに、若者が働く場所がなく、出稼ぎが一番の国となっている。そこが残念なところ。

何もできることはないけれど、ネパールでお世話になったお礼で、彼らの好む日本製の登山ウエアやリュックを私の使ったものだが、いくつか家族にお土産にして渡した。

ルクラから山道を数日間歩いて、やっと、故郷の村に着くのは来週になるのかな。

ご家族や親せきに会え、ダルバートを食べることを楽しみにしているのかな。

日本でのお仕事終了、ほんとうにお疲れさまでした!

ぐる~り奥秩父~雁坂トンネル~🍇甲斐街道の旅

やっと涼しくなり、行って来ました1泊2日車中泊の旅 (こちらは西沢渓谷Ⓟ)

夜はこんな感じにテントを上げる。(↓写真は先週の相模川の河川敷で撮影)

今回の車中泊の場所は道の駅大滝温泉♨ 奥秩父(埼玉県秩父市大滝4277-2)

コンビニもあり、雨でも安心屋根付きのⓅの場所もあり、EV充電できるⓅもある

旅のコース

1日目

圏央道相模原愛川~圏央道入間ICで下る~国道299号~道の駅あしがくぼ~道の駅ちちぶ秩父神社や番場通りなど散策)~奥秩父へ 道の駅大滝温泉車中泊

2日目

国道140号~ループ橋~滝沢ダム~彩甲斐街道ふれあいの丘~雁坂トンネル~西沢渓谷ハイキング~牧丘勝沼フルーツ街道🍇~道の駅甲斐大和国道20号~相模湖~相模原~自宅

(2日目は高速道路ではなく下道をゆっくり走り、あちこち寄り道や買い物をして帰る)

1日目のはじめは、道の駅あしがくぼ

ライダーの聖地でしょうか・・。カッコいいバイクがいっぱい。

きれいで由緒ある秩父神社でお参りやおみくじも・・。

そのあと番場通りを散策

昭和レトロの町並みや90年以上の歴史のパリー食堂👆

ちょっとレトロな人気のお店がたくさんある。安田屋のいのししメンチカツ、イノシシ肉を初めて食べたと息子は言う。

pm3:00~道の駅大滝温泉下の河原で遊ぶ

2日目

国道140号~ループ橋~滝沢ダム 奥秩父だな~と感じる

雁坂トンネル一般国道山岳トンネルで日本一の長さ6.625m 740円

雁坂トンネルを抜けると西沢渓谷が近い。車を置いてハイキング

半端ない渓谷美

キノコもけっこうありました。が、ここは熊も多いところなのでキノコ狩りはあきらめ、山梨のフルーツ街道で美味しい🍇巨峰・シャインマスカット・ピオーネを買う。

・・・旅の感想・・

今回感じたことは、軽キャンピングカーを楽しむには、高速道路は必要最小限にして、下道をゆっくり安全運転で走るのが良い。時間に余裕を持つ。あちこち面白いところや今まで行ったことのないところに寄って遊ぶこともできる。

軽キャン車中泊は言うまでもなく最高に良かったです。😊

涼しい八ヶ岳ライフの終わりに

八ヶ岳でこの夏過ごした、暑い日の室温と、今日の室温がこちら↓

エアコンはありません。必要もありません。標高は1250m以上。

とっても涼しい。下の長坂とは違う地方みたい。

その生活も、もうすぐ終わり。ただ今、片付け真っ最中。

暑い街に戻るので、八ヶ岳のベストスポットを思い出に残します

1.八ヶ岳県営牧場大駐車場からの牛さんたちがのんびり草を・・の景色

2.八ヶ岳遠景スポット

3.続いてこの右は瑞牆山金峰山、畑や八ヶ岳野菜のビニールハウス

瑞牆山は登山の他、きのこ狩りもよく行った。レストランバイトの厨房のシェフがキノコ名人で色々なキノコを教わった山。金峰山はいろいろな登山口から登れる絶景の人気の山。

4.その横に大きな富士山

5.振り返ると南アルプス 北岳甲斐駒ヶ岳

日本のベスト1富士山2北岳間ノ岳が一度に見える八ヶ岳

富士山は山頂のお鉢巡りが寒かった思い出、

北岳間ノ岳は息子かテント背負って一緒に登り、親孝行登山をしてくれた思い出の山。息子よ、その気持ちをずっと持っていてほしいな~😊。

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百名山全てクリアーは、しなかったけれど、もういいかな~と思えるくらい山登りを楽しめた。八ヶ岳は山好きには最高のところ。

ご近所さんにも仲良くしてもらって、散歩途中でおしゃべりに花が咲いた。

楽しいご近所つながりは、街の暮らしにはあまりない。

そしてインコちゃん、

キャンピングカーの中でも、八ヶ岳のテラスでもマイペース

お盆を過ぎると半袖では寒いくらいになる八ヶ岳

街の家は今日も35℃という。

この気温差で、私は八ヶ岳から帰るとだいたい熱中症になる。

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2024年8月八ヶ岳野辺山ドライブ

八ヶ岳夏期シーズン真っ最中の観光地はどこも混雑する。

でも、この広々した絶景求めて都会から遥々やってきたくなるのも納得の八ヶ岳野辺山高原、ここが気分転換の処。

平沢峠の🅿駐車場は満杯。どうやら車中泊の隠れスポットになっているらしく、早朝でも満車にもかかわらず、飯盛山に登ってみると誰もいないと知人が話していた。

野辺山あたりには、道の駅のような🅿ないのでこちらがその代わりの場になっているのでしょうね。と、野辺山の牛さんがウインクしているようです。

こちらから見える、野辺山周辺や、その先の川上郷の天狗山~男山縦走もシャクナゲ登山で気持よかったなぁーとか、登った山々がよく見えるのもいいなぁ。癒される。

次に行くのは、星降る公園(八ヶ岳ふれあい公園)

誰もいない広~い池の公園

この画面をスケッチして水彩画にしたこともあった。

いつものようにとても静かな風景。

後ろの八ヶ岳が雲の中にちょっとだけ見え、観光地の賑わいとは無縁の場所で此処も好きなところ

この日は、静けさの中で水車がいい感じに音を立てて動いていた

帰りに、びっくり市でお買い物をする

観光客でにぎわっていた

こちらから見える畑や八ヶ岳が開放的

新鮮八ヶ岳野菜や果物と景色でご馳走さまでした😊

軽キャンパー、お買い物~な野辺山ドライブ・・。

 

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2024パリオリンピックの終わりに思う

2024パリオリンピックは素晴らしいメダルの数だけでなく、競技や審判、施設設定などなど色々と考えさせられる印象深い大会だった。2021年に延期された東京オリンピックはボランティアとして少しは携われたが、無観客で静かな大会だったことに比べ、今回は楽しそうな観客の声援もあり、やはり東京もお客さん入れてほしかったな~と賑やかなパリを羨ましく思った。

見ているだけで涙したのは、クライミングのボルダーの最初からホールドに届かない設定で、0点スタートという試練にあった森秋彩さん。

!真のチャンピオンは森秋彩さんno.1 ↓

olympics.com

観客席には体操の内村航平さんが競技を観戦していた、コメントを求められて、一言だけだったが話したことは、「クライミングは体操と似ていると思う」だった。

この言葉の意味を私はこう解釈した。

体操の吊り輪では、選手が吊り輪につかまるようコーチが選手を支え、吊り輪につかまったところからスタートする。他の跳馬平均台も踏み板があって、踏み板からジャンプして競技に入れるようになっているので、身長の差はあまり関係ない。

ライミングは、落下したときの為、下にはやわらかいマットがあるだけだ。ジャンプして高いホールドに飛びつかねばならないのだから、マットの上に踏み板がなければ、背の低い選手には不利だ。やわらかいマットからはジャンプしても不可能な高さにして踏み板もない、背が低いことで0点スタートになる、いじめのようなことはあってはならないのではないかと思う。

森選手のコメント・・

「なるべくしてなった成績だと思うので、素直に受け入れようと思います」

 

日本のスポーツクライミング協会も日本オリンピック協会も今回のことをスルーしてはならないと私は思いました。

そして、森選手の大々ファンになりました。試合も見に行きたいと思います。

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