思うように生きる  coolpine19のブログ

夏は山遊び・山登り、きのこがりと軽キャンピングカー、冬は街の暮らし 季節の変化、いろいろな出来事も、つらつら書いています

2026年 4月桜🌸お花見🌸あれこれ・・&中東のこと

恩田川の桜🌸

早いもので4月桜は散りはじめ、若葉も芽吹く季節

散り始めて川辺に流れる桜の花びらが滝のようで美しい

今年も恩田川の川べりは、例年と同じようにお花見で賑わっていた

お花見の合間にティーブレイク👆(coffeeと紫蘇おにぎりとカップから揚げ)

中東が危うい世界情勢なので、お花見も今年の気持ちは、この夜のようかもしれない。

夜桜は美しいけど・・。👇

桜の間に月🌕輝き、幻想的な夜

静かな夜に美しく白い桜、

1日も早く中東に平和が戻りますように・・・。

恩田川さくら祭りは、2日間とも☀良い天気でした

キジバトが桜の枝に留まって動かず、お花見しているかのよう

野鳥も桜を楽しんでいるのかな

お花見ランチは、ファミレスで(ネバトロうどん・ホワイトワイン・お刺身)

ある日は、裏山の尾根道のお花見へ

高い場所からの桜もまた良く、広々した街と桜でお花見日和のんびり・・。

👆神社背景のお花見もいい

お花見のあとは、またまたご飯食べに行こう~て・・久しぶりのハンバーグやさんへ。

ジャンボハンバーグと野菜たっぷりハンバーグ

今年のお花見の感想・・・

2026年のお花見は、連日お天気にも程よく恵まれ、2週間以上長く美しい桜の季節を楽しめました。しかし、中東の情勢がとんでもなく良くないので、心の底から桜を楽しめていません。そのモヤモヤを埋めるように、お花見の後ご飯食べに行っていたように感じました。

ほんの4か月前、中東(ドバイ・ヨルダン)へ旅行し、その近くの中東の街が数か月で戦火の攻撃の街になるとは、全く想像もしていなかった・・。戦争ってある日突然に始まるのです。

今、ドバイやカタール空港へは、日本からも全く飛んでいません。中東諸国の空港閉鎖、そして観光も無くなり、経済もどうなっているのでしょう。米国の始めた攻撃のために、中東諸国は困っていると思います。

日本に関係がないわけではありません。困るのは石油の値段だけではありません。

個人的には、これから予定のヨーロッパ旅行は、「中東経由でなくて、ターキッシュエアラインズ使用でイスタンブール空港経由になり、航空会社変更で旅行費用が変わります・・・。」と連絡がありました。少ない額ではありません。

これから、色々なことで困ることが起きて来るのではないかと、

日本はお花見で浮かれているどころじゃないかもしれないと、

色々考えた2026年のお花見でした🌸

山梨県立考古博物館(曽根丘陵公園内) 

山梨県は発掘遺跡の宝庫なのですね。

芸術的な縄文式土器が県内のいたるところで発掘されている。

今でもリニア新幹線の工事などで山を工事すると未発掘の遺跡が現れたりするので、その都度、遺跡調査が続いていると言う。

山梨県立考古博物館では、県内で発掘された旧石器から明治時代までの考古資料約1500点が常設展示されている。(土器や銅鏡や銅鐸、黒曜石など、重要文化財がたくさん)

入り口からは、鳳凰三山が見えた。銅像でナウマン象の親子が出迎えてくれる。

中に入ると、まず、立派な縄文式土器の精巧な模様の美しさに感動する。

👇安道寺遺跡出土・深鉢形土器(水煙文土器)重要文化財(美術工芸品)・・左

右の土器は、甲州市塩山上萩原地区出土の縄文土器。均整のとれた美しい文様。口縁部は連弧文を重ね、胴部の縦に走る条線と大きく弧を描く曲線の構成が絶妙で、過去、イタリアやフランス、アメリカ、マレーシアなどで海外展示された。👇

博物館内、今はビデオ撮影は禁止ですが、どなたかの過去動画がありました。👇


www.youtube.com

縄文時代は、山の多い山梨県地方で狩猟を生活の糧とした人達が山近くの丘陵地に多く住んでいたのでしょう。そこでイノシシやシカ狩猟をしたり、クルミやドングリなど、木の実を食したりしていた。山梨盆地の山際や丘陵地は、縄文人が住むのに適していたので遺跡が多く残っているのですね。

また、縄文時代の狩猟民は、皆で協力しなければイノシシが狩れない厳しい生活なので、後世の弥生時代の稲作民のような人と人の争いや、村と村との権力争いや水をめぐる戦い等が少なかった。人同士の戦いが少なかったこともあり、破壊が少なく、遺跡が土の中で残っていたのかもしれません。

デザインの凝った器は、祭祀に使われたのでしょうか。

甕棺のような土器は、高貴な身分の人が埋葬に使うためのものか。

耳飾りや腕輪などもあったので、装飾品など高度な文化もあった。

縄文人の食生活は土器で煮炊きをして、今で言うダイエット健康食のような食事だった。

・・今と変わらないくらい豊かな縄文人の季節ごとの食生活・・

春:山菜や新芽を収穫
夏:魚介類中心、貝類の保存食も作成
秋:栗、ドングリ、トチの実などの木の実を収穫し、保存食として加工
冬:秋までに収穫した保存食と、狩猟で得た肉を食べる 

 

👇のんさん土偶(酒呑場遺跡出土品)といっちゃん(一の沢遺跡出土)土偶

土偶は、古代の日本において身代わりとして使用され、病気や不幸を移し替えるための儀式的な役割を果たしていたと考えられています。

ちなみに山梨県は土偶の出土数が日本で2番目に多い県です。

豊穣や病気治癒のお守りや身代わり人形のようなものとして、遺跡の中から体の一部が欠けたり壊れたりして出土されることが多いそうです。幼くして亡くなった子の生命の循環や再生を願い、甕棺に入れた土偶もあった。縄文人も現代人も心の癒しや、その信仰が反映された対象として作られた身代わり人形が土偶であり、今ならお守り人形みたいなものでしょうか?その精神性は、昔から繋がっているような気がします。

いっちゃんとのんちゃんは、三十三番土偶御朱印の札所になっていました。

私も、可愛い土偶の箸置きを売店で購入、どの土偶も味のある顔で迷いました。

これからも、健康でいいことありますように😊

縄文食のように自然食品をおいしく食べられますように(^^♪😊

インコちゃんは満4歳になりました。元気です。

 

山梨 曽根丘陵公園 車中泊の旅

・・はじめて前方後円墳に登る・・

桜の開花は、まだちょっと先の山梨へ、古墳歩きの春旅に行って来ました。

曽根丘陵公園は古代文化盛りだくさんの公園で、考古博物館巡りや前方後円墳の上を歩いたり、遊具・芝生広場で遊んだりすることもでき、大人から子どもまで1日中遊んでもまだ足りないくらい広~い古墳群丘陵地で、一つの大きな山のようでした。

下の考古博物館から上の曽根丘陵公園までは離れているので、車で移動します。

丘陵一山全部で、何十もの古墳(円墳・方墳・前方後円墳)があったのだろう・・

Map👇

前方後円墳や円墳に登って、縦走歩きできる珍しい古墳公園なのです!

丸山塚古墳(円墳)👇

銚子塚古墳(前方後円墳)の上も歩く👇全長169m 東日本最大級らしい

一番高い前方後円墳の上からの景色は、甲府の街と山々のすごい開放感が最高です・😊

前方後円墳の上からの春の遠景映像👇


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桜の木がたくさんあったので、もう少しで開花したら多くの人で賑わうのでしょうが、今は、静かにロウバイだけが咲いていました。

春の八ヶ岳はまだ雪がいっぱい、春霞の先。

手前の山は茅が岳かな。

近隣のシルクの里の丘からの八ヶ岳。やっぱりすごいね八ヶ岳!

車中泊は、やまなみの湯RVパーク 夜間10時~朝6時は駐車場施錠

やまなみの湯はいろいろな温泉を楽しめて何度も入浴可

RVパークは基本料金2000円、100v電気使用500円、ゴミ処理500円、やまなみの湯一人600円 (8台)やまなみの湯のフロントで受付、事前予約した方が確実

快晴の朝のRVパークでは、南アルプスが背景で、遠くに北岳がちょこっと白い顔を出してくれていました。まだ北岳は寒~い雪の中、甲府はぽかぽかな春がもうすぐです。

広島原爆投下を知れば知るほど罪深い米国

広島旅行から帰って数日後、トランプ大統領がイランの最高指導者ハメネイ師を斬首作戦で攻撃し、イラン側の報復攻撃も始まり、中東で戦争が始まった・・。

アメリカは80年前の広島・長崎原爆投下から今に至るまで、やり方は違っても武力行使で相手国を屈服させる方法は変わっていない。

広島原爆資料館・原爆ドーム周辺の戦前の写真👇

戦前の広島市は、中国・四国地方の政治・経済・文化の中心地で、軍需産業が栄えた商業都市。モダンなコンクリートや赤レンガの建物が並び、商店・映画館・飲食店が賑わう繁華街で中国地方の産業拠点都市だった。

👆日本と言うよりもロンドンの街のような相生橋や原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)付近。レトロな街灯に広々とした橋、上品に和装を着こなし、馬車に自転車、戦前の日本は想像していたより豊かだった。

1945年、人類史上初の原子爆弾がアメリカにより投下された

中心核が1000万度~300万度の小さい太陽のような火球が広島市の上空600mで核爆発、人の住む地表面でも3000度~4000度にもなり、熱線と爆風で屋根瓦は一瞬で泡状になり、鉄は溶鉱炉の鉄のように溶けて溶岩のようになる。瓶は、ガラスが溶けた溶岩石に一瞬でなった。木材や、人も一瞬で真っ黒な炭のようになった。普通の爆弾とは桁違いの破壊力で賑やかな商業都市広島市は破壊された。1945年の末までに、広島市民約14万人が原爆死した。(即死、7日~2か月、3か月後、放射線障害による死亡も)

2~8年後には放射線による白血病が増え、5~10年後からは放射線による癌も増えた。2024年8月までで、原爆による被害者は約34万人が死亡

原爆ドーム傍にある看板👆と👇

英語の説明書きもあるので、外国人観光客が多く、日本人と同じように熱心に深刻な顔で原爆の説明を読んでいた。

爆心地からわずか160m、奇跡的にこれだけ残った原爆ドーム

上の写真で右の集団のところでは、英語で原爆投下時の街の様子を写真で示しながら淡々と話すボランティアの方がおられ、人垣が出来て、熱心に聴く外国人観光客の姿があった。

👆あるいは、日本の修学旅行生に原爆のお話をするボランティアの方も・・・。平和公園内では、このようなボランティアの方がいろいろな処で活躍されていました。

安らかに 眠ってください 過ちは 繰返しませぬから

これはどういう意味なのか?原爆投下の過ちをおかしたのはアメリカじゃないの?・・と思っていたので調べてみると、「戦争や核兵器の使用という過ちを再び繰り返さないという人類全体の誓い」ということなのだそうだ。(広島市のHPより)

アメリカの罪を人類全体ってことにして何か誤魔化されているような気もするが・・。

「過ちは・・」の碑文の近くには説明看板も何もなかったので、あまり深く考えてほしくない碑文なのでしょう。もやもやした気持ちで広島平和記念資料館に入る。

原爆の資料館も外国人がものすごく多く、動きもままならない。日本人以上に深刻に熱心に、ヘッドホンで説明を聴いたり、英語説明を読んだりしていた。私も、ほぼ全ての写真や説明を見て、自分の国なのに衝撃的で、今まで深く知らなかったことや、考えてこなかったことを申し訳なく思い、このような非人道的な核兵器をたやすく計画的に落としたアメリカに怒りを感じました。

外国の方も、恐ろしく悲惨で破滅的な原爆の被害を知ると、誰もが言葉を無くしてしまうと思いました。

原爆投下は既定路線だった

アメリカは戦争を早く終わらせるため原爆投下したことになっているけれど、それは、都合のいい言い訳で、本当は、マンハッタン計画により、多額の費用(予算22億ドル現在の価値で約2兆8000万円をかけて1945年7月にやっと完成)をかけた核兵器爆弾の威力(殺傷力)を調べるために行った人類史上初の市民への原爆投下実験の場が広島だったのです。

資料館でも具体的にあったことでは、

・米軍は1945年の4~5月には広島、新潟、京都、横浜、小倉の原爆投下候補地を決めていた。

・原子爆弾投下の予告をしていない。(原爆投下後に降伏要求ビラをまいた)

・原爆候補地は、原爆の威力を正確に測定するための「温存都市」として他の日本中の都市で米軍が行なっていた空襲・絨毯爆撃なども控えていた。だから、広島の街は、原爆投下までは、ほぼ無傷だったという。

・米軍は、「パンプキン爆弾」という原爆のリハーサルのような大爆弾を全国50の街に落として練習みたいなことをしていた。

日本のどこかで原子爆弾を投下することは決まっていて原爆を開発していたのです。

その後・・・・・まだ、戦後は終わっていない・・・

原爆投下後、原爆の殺傷力(効果)を調べると、想像以上に被害が大きく、言葉では表せないほどの悲惨なことだったので、米国は、それ以後は核を戦争で使っていません。世界で核兵器を使ったことがあるのはアメリカだけであり、核被害にあった国は、日本だけです。どうして、日本だけが悪者にされ、原爆を落とされたことも当然のように言われるのでしょうか。非人道的で人類史上無いジェノサイドの被害にあったのが日本国民で、加害国は米国です。アメリカへの怒りの感情を沸かせないように、戦後GHQは徹底した占領政策を行い、日本人弱体化政策を今でも続けている。

今では、さらに80兆円のアメリカへの不平等投資を約束させられ脅されている。

高市さんは、強い日本、強い高市内閣をアピールするのなら、トランプさんに『広島原爆で14万人、長崎原爆で7万人、東京大空襲で一晩に50万人、一般市民を標的にした無差別ジェノサイドを謝罪してください』このくらい言ってほしい。

戦後レジームからの脱却」をかかげた安倍晋三元首相が暗殺されたのに、真相究明もできず、慰霊碑もできない。高市さんは、安倍総理の言われていた戦後レジームからの脱却の意味を理解しなければ、本当の意味での強い日本も、アメリカからの独立もできず日本は弱体化の道を歩むのでしょう。

日本は今、けっこう危機的な国になろうとしているのだと思う。でも、国や政治や面倒なことは考えない。今だけ、金だけ、自分だけ、政治のことは他力本願、未来の日本など知るか~って人がほとんどな国になってるかもしれない。

 

河津桜にヒヨドリ&宮島厳島神社とシカさん

春はまだかな~と思っているうちに2月も末になった。

家の河津桜はとっくに咲いて、散りはじめ、いつの間にか若葉が出ていた。

その枝に留まってじっとしているのはヒヨドリ。桜の花の蜜がお好みなのだそうだ。

このところ毎日、同じ鳥が占領しているので、縄張り意識があるのかもしれない。

そんな二月の末に、二泊三日の広島旅行に行って来ました。

羽田から広島までは、飛行機で行き、空港からリムジンバスで広島市内へ到着。そこからホテルまで行く。広島の街は原爆後、数日のうちに路面電車を復活させたと聞いていた。そんな広島の路面電車は、今もすごく便利な市民の足となっていて、どこへ行くのも早く、便利で分かりやすかった。

翌日の宮島までも、先ず電車で宮島口まで行く。そこから、宮島フェリーに乗船して厳島(宮島)に渡る。宮島銘菓のもみじ饅頭みたいなデザインの船も・・。👇

表参道を歩くと目立つもみじ饅頭店は、広島限定なのかな?揚げもみじ、生もみじ、黒ゴマ、抹茶、クリーム、八朔、チョコ・・・いろいろほかほか焼きたてを食べ歩きして楽しむ。その他、焼き牡蠣・牡蠣フライなど美味しいお店が参道にずらりと並んでいるので、シカさんもお店に入りたそう・・・。

でも、ダメだよ~とお店の人に断られていました。

厳島神社に近づくと、神の使いのシカさんは観光客に人気となっていた。

外国人の観光客も奈良のシカのように人に慣れ、写真に仲良くおさまったりして、厳島神社と大鳥居と石灯篭とシカさんなど等・・、いいショットがたくさん撮れるようですね。😊

宮島厳島神社 国宝は本殿・社殿・回廊

大鳥居は、高さ16m、海の中に立つ木造の大鳥居は日本三大鳥居の一つ。

大鳥居が、海の中にすっくと立ち、下は海、背景は広島の山が連なる見事な美しさ。

その大鳥居をいろいろな所から写真に撮る。何処から見ても良いな~。潮は干潮なので砂浜を歩く人もいる。それもまた良い風景。

桟橋のような回廊の先で記念写真を撮る人がいっぱい。

G7広島サミットの時に、この辺りにG7が並んだ写真があった同じ処に立って撮る。

サミットで有名になったこともあり、外国人観光客が多い。日本の神社仏閣の建築美が惹きつけるのかな?朱塗りで、満潮時は海に浮かぶ社殿が日本的で神々しい。

厳島神社は1400年以上の歴史を持ち、島そのものが御神体として崇められる。

平清盛による修造や毛利家の信仰により守られ、発展してきた。

本殿では参拝のあと、本殿右側で交通安全のお守りを購入する。

高舞台👆・・此方で能や雅楽の演奏を平清盛が催したのかな~とか妄想して、平安時代に心を馳せる。絵のように美しい時代絵巻だったのかな…。

石灯篭は108個あり、煩悩の数だけあるという。

山の上にある黒い建物は千畳閣。豊臣秀吉が建築途中の年に亡くなったため、柱だけで板壁のない造りのまま今に至る。千畳閣は、広い大きな古い木造建物で、当時のまま大切に保存されていて見ごたえがありました。

宮島の感想・・・

厳島神社が1400年の歴史があったり、海に浮かぶような大鳥居が石でなく、木造の大きな柱で丈夫に出来ていたり、平清盛や豊臣秀吉がその時代に生きていた証があったり、海に浮かぶ発想の建築美を創造したり、日本人のご先祖様の感性ってすごいなと!。それを長~く今の時代まで引き継いでいる日本って、やはり世界に誇る凄い、珍しい国なんですね。そういうところを外国の人も感じて日本を訪れるのでしょう。

日本と日本の歴史を大事にしたいなぁ~と改めて思いました^😊^

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広島旅行のその翌日は原爆資料館でした。一度も行ったことがなかったので行ってきました。重い気持ちになりましたが、なぜ今の日本がこうなっているのかが、少し分かりました。戦後はまだ終わっていない・・・のですね。

続きは次のブログに原爆資料館で思ったこと等を書きたいと思います。

もう少し頭を整理して。

田子の浦&沼津港からの新春富士山🗻

富嶽三十六景田子の浦に、軽キャンで宿泊旅に行きました

【ふじのくに田子の浦みなと公園】からの富士山👇

約200年前に描かれた富士山は、葛飾北斎 冨嶽三十六景 「東海道江尻田子の浦略図」👇

現在の景色と比べて見ると港が塩田だったことやその向こうの家々が、江戸時代らしいゆったりとした田舎の風景だったことが想像できる。富士山や自然の景色は今と変わらない。

今は港も街もビルも工場も人の数も増え随分変わって、江戸時代の田子の浦の人が見たら、その違いに驚くでしょうね。宝永の噴火(1707年)の跡は、葛飾北斎は実際よりやんわり描いているみたいです。

 

ふじのくに田子の浦みなと公園は、海抜0mからの富士山登山の起点で知られる

富士登山ルート3776」で富士山へ登るのは、4~5日かけて歩くコースが表示されている。江戸時代は各地から此処の港まで来て、この起点から富士山に向かって歩いたのかなぁ・・、日本一大きくて美しい富士山を見て、昔も今も、人は胸が躍り、気持ちが高まったことでしょう・・。(^^😊)

山部赤人の有名な歌碑がある

田子の浦ゆ うち出でてみれば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける』山部赤人

奈良時代歌人山部赤人も、富士の高嶺が真っ白な季節に田子の浦を経て旅をしたとき、富士山の姿に魅了されたのでしょうね。

ディアナ号と富士山👇

幕末に富士市沖で沈没したロシア軍艦「ディアナ号」を実物の約3分の1スケールで再現した施設、当時の日露交流の歴史や、地元住民が乗組員500人を救助した逸話を伝える。

ドラゴンタワーと富士山👇

ドラゴンタワーの上からの富士山は、また特別に絶景で、駿河湾を背景に360度が見渡せます😊

ふじのくに田子の浦みなと公園駐車場は公園のすぐ隣で、8:00~17:00、143台(無料)

軽キャン宿泊は、「道の駅富士」、背面の壁絵が素敵で、人気のところなのかな?早めに車中泊の車で満車になりました。

翌日は沼津港へ、こちらからの富士山はこう見えます

富士山アップ 宝永の噴火口も雪景色

美味しい魚が食べたいな~と散策

干物とえびせんべいをお土産物に買って、「沼津港大型展望水門びゅうお」に上る(100円入場料)

両方の塔にエレベーターがあって、回廊展望で、こちらも360度の景観がみられます。👇

沼津展望水門びゅうおからの富士山もすごかった!

奈良時代山部赤人が短歌に、江戸時代の葛飾北斎富嶽三十六景に、今の人は写真やビデオに、時代は変わっても富士山の大迫力の美しさに感動し、何かに残したいという気持ちになる富士山はやはり、♪日本一の山~♪です

令和八年 初めての新年一般参賀へ🎍

明けましておめでとうございます

元旦は近くの神鳥前川神社で初詣へ

今年は午年です

絵馬のように元気に飛躍、、のようなアクティブな年になりますように😊

今年もよろしくお願い致します

 

1月2日は人生初めての新年一般参賀へ行って来ました

朝10時過ぎの第一回目一般参賀に間に合うよう、朝7時から列に並びました

今日の参加者は延べ6万人以上だったそうで、待っている間も列はどんどん増えて行きました

2時間半位して列が動き始め、荷物チェックの場所に並ぶ。手ぶらの人はチェックが無いので早く先に行ける。とにかく沢山の人の数

普段は通れない二重橋も渡る

伏見櫓が見える。👇

正門入口の皇宮護衛官は、直立不動

皇宮警察と警視庁の警察官があちこちにいっぱい

二重橋から見た丸の内方面の景色が、ザ・日本って感じがする

日の丸いっぱい。

宮殿の庭に着くと、報道のカメラの人がいっぱい。

10時過ぎ、第1回目の一般参賀に入れ、宮殿庭の右の方に人の流れで着きました。

この時、新年一般参賀を待っていたかのように、タイミング良くお日様が出て来る。

 

秋篠宮様ご一家が近くに見えました。ライブ映像のスクリーンがさらに近かった。

天皇陛下御一家がお揃いです

天皇陛下万歳!」の声と日の丸がいっぱいで、とても良い新年一般参賀です。

あっと言う間に終わり、帰りは皇居の施設を見ながら進みます。

宮殿(長和殿)は、大屋根・柱・梁など日本古来の建築美、国産木材で造られているそうです。👇

宮内庁もレトロで素敵な建物ですね。👇

富士見櫓と皇居のおみやげのお菓子と皇宮警備のかわいいワンコ 

宮内庁のHPに一般参賀の映像があります。👇

新年一般参賀映像(令和8年1月2日 1回目) - 宮内庁

・・感想・・・

令和八年 新年一般参賀がお天気も良く、日の丸がたくさん振られて、ご一家お揃いで、上皇様もお元気で、今年は穏やかな良い年になりそうなそんな気がしました。

 

今朝は5時に起きて、6時の電車に乗り、7時から並んでお腹も空いたので、東京駅のグルメ街に行き、ハイボールと食事、ちょっとだけ新年会とお疲れ様の会をして帰りました。

今年も色々なことにチャレンジし、出来ることを楽しく、無理せず・楽せず、まったりとやっていきたいです。

2025年日本が変わると思えた芝公園の夜🎤

2025年を振り返ると、前半、私はブログ更新が少なかった。

政治的な考えをブログに書くのはどうかと、当たり障りのない事を書いていることが多いが、今年は、政治的なこと抜きに1年の変化を語れないと思う。

どう見ても何かおかしい石破総理がこのまま続くと日本はどうなるんだろう?

今年の前半、不安な毎日だったと思う。

日本が変わると感じたのは、参政党、芝公園での参議院選挙マイク納めの演説の熱気🎤

夕方の芝公園の空には報道のヘリが何機も飛んでいた。2万人の支援者は長い時間、座って最後まで熱く、静かな闘志と、期待と希望とを胸にいだき、演説を聴いていた。妨害する人がいるので前が見えないが、演説の様子はスマホのライブ映像を見れば良いので、前でもず~っと後ろの人でも座り、参政党の躍進と応援で、心を一つにしての芝公園会場だった。

その座っている聴衆の前の通路に立って、全然動かず、大きな看板で妨害行為をしたり、国旗に✖をして嫌がらせをしたり、マイクで大声で妨害をする集団が目の前にあった。以前と同じだなと思った。妨害の仕方は色々だけど、妨害することが目的の集団なのだと冷静に考え、挑発に乗らないのが大事なのだ。

テレビでは大きく報道されなかったかもしれないが、報道の人の数や、報道ヘリ、2万人の支援者の数、「1・2・参政党」の熱気に、もしかしてこの夜が、日本が大きく変わる歴史的な転換点の出来事になるかもしれない。皆さんも私も、このような気持ちで応援していたと思います。

神谷代表の演説は、聴くと癖になるほどで、日本人であることに元気をもらえ、まだまだ自分はやれるんだと前向きな気持ちになれます。

神谷代表にはいつか総理になってほしい。参政党が政権政党になる日本を見てみたい。

coolpain19.hatenablog.com

参政党は参院選で躍進し、今は18人の議員集団になった。地方議員は190人以上いるのかな。毎月選挙で増えている。

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高市総理誕生の風を吹かせたのも参政党の躍進が大きいと思う。

政治家が、政権政党の揚げ足取りでなく、まじめに討論をするようになり、国会中継TVが面白くなった。政治討論番組も面白くなった。参政党の若い議員さんは、よく勉強していて、演説・質問などが上手なので、若者の政治参加が増え、若者が政治を語ることや選挙に行く人が増えたのは良いことだ。

高市総理の考えているらしいスパイ防止法国旗損壊罪など、政策は参政党と、ほぼ似ているらしいので、参政党の存在は、高市政権にとって都合の良いことも多々あるでしょう。

来年早々にアメリカに行き、トランプさんと上手く諸問題の話し合いができるか。安倍元総理とトランプさんとの関係か、それ以上のトランプさんとの外交ができるか、それらが踏ん張りどころですが、勉強家の高市総理、準備は着々だと思います。

トランプさんは、高市総理を「歴史に残る女性総理になる」と、話されていたので、来年をすごく期待しています。

高市早苗総理のご活躍を、安倍元総理が空から見守ってくれていると思います。

coolpain19.hatenablog.com

ということで、今年をまとめると、

①参政党の躍進

高市日本初女性総理の誕生

③若者や高齢者・普通の人が政治に興味を持つようになった

 

来年はさらに良い年でありますように・・😊

ヨルダン世界遺産 サルト(Salt)&アンマン城塞(Amman Citadel)

死海浮遊体験の翌日、アンマンへは砂漠の道を45km進む。途中でサルトという古い商業都市へ寄る。

かなり急な斜面に多くの建物が囲むように建っている世界遺産の歴史都市。

サルト(2021年第44回世界遺産委員会会合で登録)

(ヨルダン中西部のバルカ高原にある3つの丘の上にあり、東の砂漠と西の砂漠を結ぶ重要な貿易拠点)

斜面に屋根がテントのアーケードの小さなお店が並んでいる。(歴史商業都市サルトの保存に日本も協力しているらしい)

お店の素敵な女性たちがポーズをとってくれました😊。

ピタパンを焼く女性と、ヨルダンに昔から伝わるゲームをする男性

子ども用品のお土産物の店と、ヨルダン料理

ヨルダンの首都アンマンに到着

アンマン城塞(Amman Citadel)の丘の上は360度の市街地に囲まれている。


www.youtube.com

日本と同じように紀元前からの長い長い歴史があるアンマンの城塞

その中でも、特に古いところは中期青銅器時代(約BC3000年前)の墓穴(Bronze age Cave)説明看板をAI翻訳によると、1つの石灰岩をくり抜いた空洞になっていて、中期青銅器時代には共同墓地、歴史が変わるにつれて様々な異なる再利用されていたらしい。

👇Bronze age Caveとヨルダン考古学博物館

アンマン城塞の遺構の多くは、未発掘で、それが80%にもなると言う。1920年~イタリア、イギリス、フランス、スペインおよびヨルダンなどの調査が始まり、1995年~現代に入り、アメリカ合衆国がヨルダンと協同で、観光および地域社会に価値あるこの地を保護・修復する保全事業を開始した。

西暦2世紀あたりのアンマン城塞では・・。

ヘラクレス神殿(西暦162-166年構築)、ローマ時代の構造物、ギリシャ建築様式美の飾りのある太い石柱が大迫力で目の前に見える。皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスのために造られたとされる。遺跡の真下に入り、記念写真をしている人がいるのにビックリ!地震で落ちたら?危なくないのかな?

円形劇場も2世紀、ローマ時代の建造物

円形劇場の席数は6000席で、ヨルダン最大の規模。私も円形劇場の客席に上がってみました。当時の女性たちは、長いスカートでこの急な階段を上るのは怖かったでしょう?またまたAIにローマ時代の円形劇場の席について聞いてみましたら、「女性は身分に関わらず、最下層の身分の席で、最も遠く、見えにくい、最上部の席に追いやられていた」ということです。女性にひどく差別的なのですね、ローマ時代。

👇アンマン城塞遺跡から見える円形劇場

この様な危険で怖い席に、好き好んで行く女性は少なかったのではないかな?いや、丘の上から行けば近いかな?でも、座っているだけでも怖い高さ、人がいなくてすべったら下まで落ちます。しかし、1800年以上前の劇場が現存して、出入り自由な世界遺産とは、ヨルダンは観光に大らかな国ですね。

ウマイヤ朝の宮殿

西暦730年頃に建てられたビザンティン様式の宮殿

正門入口はギリシアの十字形の設計がなされている。ドーム型の入場の間は天井部分など修復されている。それでも1300年以上昔の石積みやその跡が今も残っているのが素晴らしいです。

ウマイヤ朝の宮殿の近くにはビザンティン教会があったらしい。

ウマイヤ朝貯水槽・・・宮殿に隣接した場所にあったウマイヤ朝の巨大な貯水池、丸く囲った石積みが隙間なく美しい。下の方に地下通路があるらしい。

アンマン遺跡の丘を囲むように山の斜面に建つ市街地が見渡せる貯水池、

ヨルダン考古学博物館に展示されているお宝のような発掘品がいっぱい。考古学の知識がないので残念だけど、テルマエ・ロマエで使っていたような本物が見られます。

アンマン城塞の丘を下りて市街地を見上げると、

坂が急なところに立つ家々は、石段がほとんどの移動手段。

たまに道があっても、つづら折り道ではなく、真っ直ぐな滑り台みたいな急坂道なので、運転は大変テクニックがいるでしょう。

でも、此処は歴史保存地区なので近代的なビルもなく、古い街並みを保存している。

アンマン城塞(Amman Citadel)は、ペトラ遺跡と並ぶヨルダンのお宝世界遺産だと思いました。

 

キラキラなドバイで噴水ショー⛲️

ドバイの夜はキラキラだ、大げさに言えば日本語なら豪華絢爛、英語ならコ゚−ジャスっていう感じ。

噴水ショーをファウンテンショ−と言う、

5時半から30分ごとに5回、音楽にのった華やかな噴水ショ−を観る。


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その後は、バージュカリファの124階展望台に高速エレベーターで上がり、夜景を楽しむ。

昼のドバイも美しかった。

豪華で広いドバイモール

ドバイマリーナ

個性的なデザインの高いビル群



 

ヨルダン マダハ&dead sea(死海)浮遊体験

ペトラをバスで出発し、高台からペトラ遺跡の思い出を胸に刻む。

此処のハートブランコに乗るのは、少し怖い、向こうの山々にペトラ遺跡がある。

次は、マダハへ220km..ずっと砂漠(土漠)道路が続く。

着いたのは、砂漠の中のオアシス都市マダハ、

世界遺産の聖ジョージ教会

古代エルサレムのモザイク画が床にある。

モザイク職人さんの仕事の様子を見せて頂きました。

ザクロ丸ごと潰してジュ−スのお店屋さん

この街のお土産屋さんは他より安い、マダハの街

そこから9kmで、ネボ山頂へ

キリスト教の巡礼の場所、モ゙−ゼ終焉の地と言われるモ゙−ゼメモリアル教会。

素晴らしいモザイク画の床が保存されていてガラスごしの床から見え、圧巻だった。

古代エルサレムの文化が分かる。

そこから30kmで、お楽しみの死海浮遊体験へ

ホテルから海に向かう道には、1990年はここまで水位がありました等と言う看板があリ、5年毎の水位変化が分かるようになっていた。死海の水は、人口増加や工業用水等で取水により、ヨルダン川から流れこむ水が減ったことや、地域の砂漠化での蒸発で1年に1m以上減り続け、2050年には死海は干からびる可能性大だそうです。

私にとっても、次はもうない貴重な死海の浮遊体験となりました。

感想

塩分濃度が50%近く、体が浮き過ぎるので、潜ったり立ち泳ぎができません。

体の半分以上が水より上に浮きます。無理に沈もうとすると、ひっくり返ります。

ヨルダン ペトラ遺跡は更に凄かったです☺

今回の旅のメインは、ペトラ遺跡です。

円形劇場だって、この通り👇️立派です。

しかし、ペトラ遺跡の時代は、記録が無かった時代なので、いつできたが、どうやって、誰が何の為に作られたか、よく分かっていない謎の多い遺跡、確かなのは世界で一番入場料が高い(1万円位)と言われます。


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インディージョーンズの映画の撮影で有名な宝物殿(エル・ハズネ)を゙見たくてやってきたペトラ遺跡

エル・ハズネへの入り口近くで馬かロバを勧められても歩くことに意味がある

今日の歩数は26.296歩!歩いた距離19.8km  遺跡歩きには体力がいる!!

感動を言葉で言うのは難しい。なので、ビデオや写真でも記録する

エル・ハズネの前の利口な可愛いラクダ🐪さん、建物ができたのは、紀元前1世紀頃

紀元前1万年〜紀元1世紀頃と大昔の遺跡が今あることがタイムトラベルしている錯覚になる。


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久々に登山気分

一番の思い出は、山頂にあるペトラ最大の葬祭殿

エド・ディル(修道院

本日の歩数は25000歩以上(エド・ディルへの石段は800段)結構きつい遺跡登り、

修行僧のような岩山石段を登り、やっと見られる修道院です。

エド・ディルの丘に座り30分くらいのんびりしていると、自分も紀元前2世紀のナバテア王国が繫栄した時代にいるような気持ちになりました。此処に毎日登って来たであろう修道僧の気持ちが少しだけ想像できました。

 

ドバイ1日目🌴日本車がいっぱいな街🏘️

アラブ首長国連邦のドバイに着きました。

日本車がいっぱいで全然、違和感がなく、日本人に親しみをもってくれている国だそうです。日本車は故障しない。だから、それを作れる日本人は賢い。そんな日本人を尊敬するということだそうです。私達は、日本の先人達に感謝したいと思いました。


オ−ルドドバイは、近代的な高層ビルとは対称的て、ドバイフレームが新旧の街並みを対称的に写し出していると言うガイドさんの説明がありました。

オ−ルドドバイの中にあるスタバが風情があってすごく良かったです。

古いドバイの家をそのまま使っているスターバックスドバイ店

船に乗り、古いドバイのバザールへ買いものに行く

どのお店も、ものすごく商売熱心でパワフル

金ゴールドが好きな人が多いかな?

ドバイは最終日にまた戻って来ます。

この後、また飛行機でヨルダンのアンマンへ、そしてペトラ遺跡の街に到着、

ドバイと、ヨルダンでは季節が夏と冬くらい違います。

時差で、眠いけど頭は冴えるヨルダンから。

また旅は続きます。

キャンピングカーに換気扇&薬師池公園ライトアップ

紅葉が進み、寒くなり窓を閉めたキャンピングカーの中で飲食をする季節になった。そうなると、お湯を沸かす時に気になるのは換気扇がないことだ。購入時、オプションでつけるMAXファンは注文していなかった。景色の良い車外で焼肉や鍋などをするのは夢だったが、車内でそれを…は、全く考えていなかったからだ。昨年の冬は、初めての冬だったので、キャンピングカーで出かけてもホテルに泊まり、換気扇の必要がなかった。

12月になり、寒くなったので簡単な車内換気扇を製作することにした。

👇

👆出来上がった換気扇は、この車の雰囲気に似合っているかも,,,と、満足😊

用意する物・・・換気扇・塩ビ板(窓より広い面積)・ビニールテープ・養生テープ、ハサミ

①換気扇を付けたい場所を決め、塩ビ板に換気穴(直径約10㎝位)を開ける。塩ビが切れるハサミで穴の大きさぴったりに切る。

②塩ビ板に換気扇を差し込み、周り等をぴったりとビニールテープでとめて完成。

③キャンピングカーの窓を開ける。

④塩ビ板つき換気扇を窓に置き、養生テープで塩ビ版の四隅に貼って設置する。

小型でも、狭い車内では十分換気の役目を果たせる換気扇だった。

食事が終わると、養生テープを剝がし、換気扇を片付ける。窓を閉め、元に戻す。

換気扇を使うことは少ないので、この取り外し式換気扇はいいんじゃない…と、またまた自己満足!

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🍁薬師池公園の紅葉ライトアップ🍁

ライトアップ最終日の薬師池公園は、幻想的な世界が広がって・・・。

雲海に引き込まれたい気分で架け橋を渡る

池に映る紅葉も美しい

新しく加わった藤棚風なライトアップ

イチョウの黄色は黄金色

もうすぐ1年が終わるんだなぁ~、また来年も来るよ~と、大きなイチョウさんに約束して薬師池公園のライトアップを見納めしました。

長岡百穴古墳&真岡まちあるき&町田ゼルビア優勝

読み方は、長岡百穴古墳(ながおかひゃくあなこふん)&真岡(もおか)まちあるき

長岡百穴古墳  栃木県宇都宮市長岡町373-3

畑の先に52基(東群44基、西群8基)の横穴式石室が並んでいるのが道路から見える。1300年も昔の古墳が保存されてあって、誰でもいつでも普通に道路から見える日本はすごい国。

すべて南を向いて開口の古墳墓。造られたのは7世紀前半。玄門のところには扉石をはめ込んだと思われる切り込みを残していて、はじめは扉石があったという。

52墳墓の各室にある観音像は、後につくられたもの。仏像の彫刻がつくられたのは室町時代後期らしい。

始めはお墓で、後に観音様が彫刻された不思議な百の穴の古墳。

長岡百穴古墳にまつわる4つの民話がおもしろい・・・どれも本当かも?と、思ったりします。

①第10代の崇神天皇の皇子でありました豊城入彦命が東方征伐の途中、長岡の地にこられた時、付近の豪族の強い抵抗にあい、容易に征服できず大激戦になりました。この戦いで、皇子の主だった家来百人ほどが戦死してしまいました。悲しんだ皇子は長岡百穴に遺骸を手厚く葬ったといいます。

弘法大師が大谷に来られたおり、これより東方2里ほどのところに長岡という村があり、そこに豊城入彦命の家来衆百人の墳墓があると聞いてさっそく長岡の地を訪れてみました。すると墳墓は、ツタやカズラが生い茂り荒れ果てていました。大師は驚き、さっそく雑草を切り払い掃き清め、百人の御霊を祀るため露出した各穴の奥の壁に観音像を刻まれました。そして、長岡百観音寺を建立し、手厚く弔われました。

③百穴の観音像には、弘法大師一夜の作という伝承があります。大師は99体の観音像を彫り終わった時に一番鶏が鳴き、夜が白々と明け始めてしまったため、100体目を刻むことなく立ち去ってしまいました。

④昔、百穴には百観音寺という立派な寺院があったということです。しかし、この寺は次のような理由で廃寺になってしまったと伝えられています。3代将軍徳川家光の時、江戸城内で諸大名を集めて「長岡百観音寺」の由来についての芝居が上演されました。

家光は、宇都宮城主に観音寺について尋ねましたが、城主は領内にそのような寺はないと答えてしまいました。宇都宮に帰った城主は、家老から長岡に百観音寺が存在することを聞いて驚き、一夜のうちに寺を焼き払うと共に、村人に観音寺のことは口外してはならないと申し伝えたといわれています。

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真岡(もおか)まちあるき  栃木県真岡市荒巻

久保記念観光文化交流館   

昔の日本銀行宇都宮代理店真岡出張所👇

美術評論家・久保貞次郎氏の邸宅跡を、整備・保存し活用している。明治・大正期の建物や文化が分かります。

美術館や石蔵、レストラン、観光物産店などの街歩きができる

長蓮寺 永仁5年(1297年)に遊行二祖他阿上人真教が念仏修行の道場として阿弥陀如来を安置して開山

長蓮寺には日本一の弁財天半跏像があります。弁財天半跏像の頭の上には、人の頭のようなものが乗っていて不思議。😊

岡部記念館 「金鈴荘」回遊式の日本庭園と明治初期の豪華別邸

元々は、真岡の裕福な呉服商がおもてなしの接待に使っていた料亭兼別荘。

今でも住めそうなしっかりした日本家屋の建物で、日本庭園の池には、優雅に鯉が泳いでいました。

庭の東屋に座ると、時間がゆったりと流れます。有島武郎の「或る女」の小説モデルの婦人が此処に住んだこともあったそうです。この時代に生まれていたら、このような暮らしもあったのでしょうね。

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栃木から戻ると、今日は町田市にうれしいニュース(^^♪😊

町田ゼルビア、悲願の天皇杯初制覇!3ゴールでヴィッセル神戸撃破 j1昇格2年目で初タイトル獲得

www.city.machida.tokyo.jp


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⚽ゼルビア初優勝⚽

町サポのボランティアやサポーターでホームタウン町田市から応援しています。