春の旅行の1日目は伊豆へ。
自宅から近くの高速~伊豆縦貫自動車道月ヶ瀬IC~天城越え~河津~下田 ・・3時間くらいで到着
浄蓮の滝あたりで雨が強くなり、景色はいまいちというか真っ白になった。それで滝は下まで降りず、上から見る。
天城越えの下りは歌のようにつづら折りで車に酔いそうになったけど、何とかセーフ。河津桜はもうとっくに終わり、その並木に近い道を進むとやっと伊豆の海が見える。
東伊豆からは、向こうに伊豆諸島(大島、利島、新島、神津島)が見える。やっと伊豆半島の先っぽに近い下田の港に着いた。
ペリー艦隊来航記念碑・・ペリーがここから上陸したという場所(この公園あたりは米軍のもの?)その先には日本の海上保安本庁の船。そして犬走島が向こうにある。
了仙寺への道、ペリーロード。その運河沿いの家並みがレトロで雰囲気がいい。
日米和親条約は、1854年3月31日(嘉永7年3月3日)に日本とアメリカ合衆国が締結した条約。神奈川条約。日本側全権は林復斎(大学頭)、アメリカ側全権はマシュー・ペリー。アメリカ側は東アジア貿易のために日本で補給のための寄港地が必要だった。でも日本はあまり開国をしたくない幕府側・・。
全部で12条のうちの第2条
下田(即時)と箱館(1年後)を開港する(条約港の設定)。この2港において薪水、食料、石炭、その他の必要な物資の供給を受けることができる。
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その後、伊豆国下田(現静岡県下田市)の了仙寺へ交渉の場を移し、同年5月22日(6月17日)に和親条約の細則を定めた下田条約(全13箇条)を締結した。なお、ペリー艦隊は同年6月1日(6月25日)に下田を去った。
条約が締結され、了仙寺は暫定的なアメリカ人休息所として設定されることになった。
👆「黒船従軍画家ハイネ筆 原画はアメリカ海軍兵学校所蔵」と書かれた交渉の絵が掛かった了仙寺。
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旧澤村邸やウロコ壁の家など見どころも沢山あった
下田で観光して、宿は稲取の銀水荘のオーシャンビューと金目鯛の姿煮。
新しいサービスで絶景を眺めながらの24時間のドリンクサービスが良かった。