思うように生きる  coolpine19のブログ

夏は山遊び・山登り、きのこがりと八ヶ岳通い、冬は関東の街暮らし 季節の変化、いろいろな出来事も、つらつら書いています

春旅行② 駿府城と家康

 2日目は、新東名を新静岡ICで下りて静岡市葵区駿府城公園へ

Ⓟは市民文化会館の地下駐車場、此処は旧外堀の内側三の丸にあり、外堀の橋を渡って入る場所で、今は静岡県の官公庁や大学、病院などがあるところ。外堀の外周道路を2周してやっと市民文化会館Ⓟの位置が理解できた。

駿府城は1635年にすべて焼失したが、現代に入り一部復元され、天守台は発掘の現場を見学できる公園となっている。皇居のお堀内の江戸城天守跡や公園の雰囲気と似ている。同じ徳川氏の城跡だからかなぁー。

東御門橋と櫓門(平成8年に復元)

家康の銅像と東照公御遺訓

家康公のご遺訓が ずし~んと心に響く。

「人の一生は重荷を負をひて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず
不自由を常と思へば不足なし 

こころに望みおこらば 困窮したる時を思ひ出すべし

堪忍は無事長久の基 怒りは敵と思へ
勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば 害 其の身に至る 

己を責めて人をせむるな 及ばざるは 過ぎたるより まされり」

 ←駿府城天守閣は想像図

徳川家康駿府城に思い入れが深かった

駿府城の歴史と三重外堀に囲まれた史上最大規模の駿府城拡大図

家康公は7歳から19歳まで今川側の人質として駿府の此処近くで過ごし・・1度目

天正13年(1585)から居城として駿府城の築城を始め、天正17年(1589)に現在の二ノ丸以内の部分を完成させた。・・2度目

慶長10年(1605)将軍職を秀忠に譲り、翌11年(1606)より天下普請で再び駿府城の修築に着手し、さらに駿府の町割りや安倍川の治水事業に取り掛かり、慶長13年(1608)本丸御殿完成、慶長15年(1610)天守を完成。・・3度目

その後の駿府城

元和2年(1616)家康公が薨去、その後、寛永12年(1635)の火災で天守などのほとんどを焼失。その後は細々と城代が引き継ぐが建物の規模も縮小。

明治維新後、荒廃したまま放置されていた駿府城、陸軍歩兵第34連隊設置により本丸跡は埋められ、三の丸は官公庁の公共地となった。

その後・・現在

平成元年(1989)には、市制100周年記念事業として、巽櫓が復元され、平成8年(1996)には、東御門が復元され、平成24年(2012)4月に、その名称が駿府城公園に改められ、平成26年(2014)4月には、坤櫓が復元された。

平成28年天守台発掘が始まる、今はその現場を見学できる。

今の駿府城公園mapと2023年お城の🌸桜も開花

お城の天守台発掘調査現場を見学

天守閣の高さは、5階~7階建てで隣のビルの高さ位あったらしい

発掘情報館きゃっしるでお話を聞けます

大河ドラマで『どうする家康』を見て、駿府城がその時代どうやって造られ、今どうなっているのかなと思い春旅行で行ってきました。家康は江戸より自分の故郷近くが恋しくて最後はそこで過ごしたかったのでしょうね。

静岡は温暖で良いところです。家康お手植えのミカンの木が城内にあったり、薬草園にも力を注いだり、75歳まで生き、当時としては長生きで健康志向だったのかもしれません。

おごらず 急がず 高ぶらず 

徳川家康は人間としても すごい人だったのですね 😊

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