房総半島で、三浦半島の向かい側。
鋸山とは、山全体が日本寺であり、石切り山だった。
日本寺
日本の名を持つ関東一円で最大の寺。
御本尊は薬師瑠璃光如来。病苦を救う医薬の仏様。左手に薬壺を持っている。31.5m
鋸山山頂展望台の「地獄のぞき」↓
人が小さく見える場所に下りてみると、そこは凄いパワースポットだった。
石切り場の垂直な壁に百尺観音と祈る人。参道の階段を下りていくと山全体に石仏群。
東海千五百羅漢とも言われる。
状態が良くない仏像や首から上を修復したものが多かった。
「廃仏毀釈」により
日本中で1616の寺が廃寺。
全国で貴重な仏像・仏具・寺院が失われたという。
明治維新の負の部分を知った。
日本寺の拝観料600円は、本堂や仏像の修復・管理に使われている。
武将では源頼朝。
「源頼朝は石橋山の戦いに敗れた後、房州に逃れ再起を図った折に日本寺で武運を祈願し、自ら蘇鉄を手植えし、現在も大蘇鉄として境内に残っております。頼朝は鎌倉幕府を開くとすぐに荒廃していた日本寺の全山修工に力を尽くし、養和元年(1181年) 薬師本殿を再建しました。」
その蘇鉄がこちら、樹齢800年↓
その大蘇鉄のそばにあるのが、
目立たないが日本寺の梵鐘(重要文化財)
この鐘には歴史があった。
鐘には永徳二年(1382年)にこちらに寄進されたと彫られていたので、日本寺の案内所の人にこの鐘についてお話を伺った。
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この鐘は、はじめ下野の国にあったのを源(北条)氏側が戦いに勝った戦利品として鎌倉に持ち帰った。そして浄妙寺鐘となった。